「今日も一日ありがとう」

つい先日のこと。


いつも私たち夫婦を気にかけてくださり、
息子達を可愛がってくださったおじさまが、

お空に、還ってゆきました。


子どもたちを抱きあげる大きな手。
明るい笑顔と、元気な声が忘れられません。


「あぁ、どこに行ってしまったのかな…」

と、見上げた空には、
存在感のある、長い雲がなびいていました。
 
 

 
たくさんの方に愛されていたおじさまを、
一言で表すならば、感謝の人。


「今日も、一日ありがとう!」

と、奥さまと娘さん、それぞれに伝えて、
1日を終える、というのが日課だったそう。


ここ数日、真似をしてみたら、
子どもたちからも、

「ママ、今日も一日ありがとう!」

と、言葉にしてくれるようになりました。


不思議なことに、どんな一日も、
この一言で、報われるのです。


「大切な人と、今日、ここにいられた。」


それ以上、有り難いことは、ないのかもしれません。


大事なことを教えてくださって、ありがとうございます。
 
 

 
この世と、あの世。
見える世界と、見えない世界。
肉体の世界と、魂の世界。
 
生と死。


私たちは、どこから来て、どこにゆくのか、
そんなことを、よく、考えるのだけど。


2つの世界の境目は、実は、ゆるやかな、
グラデーションでつながっているのでは?

と、思っています。


「移ろいゆく」

という美しい日本語が表すように、

昼と夜の間には“ 夕暮れ時 ”がありますし、

この冬も、“ 三寒四温 ”を繰り返しながら、
ゆるやかに、春になっていきます。


そんな風に考えてみると、人も、また然り。


子どもと大人の間には、
“ 少年、少女 ”の時期がありますし、

赤ちゃんは、“ 十月十日 ”の歳月をかけて、
この世に産まれてきます。


私には、感じる能力はないし、
特定の宗教を信じるわけでもないけれど、


それが、自然の摂理ならば、きっと、
生から死も、グラデーションのように、移ろいゆくもの。


お空に還ってゆくには、おそらく、
産まれてくるのと同じくらいの歳月がいる。


そう考えるのが、自然だと思うのです。


だから、あの存在感のある雲は、
おじさま、なのではないかな。


信じるのは、生きている者の勝手、
ということで。


ここまで、遊びに来てくださって、
ありがとうございます。


もうしばらく、楽しんでいってくださいね。


かまくらのおと
白河 晃子

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