「今日も一日ありがとう」
- 2021-02-10
- ひとのおと
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つい先日のこと。
いつも私たち夫婦を気にかけてくださり、
息子達を可愛がってくださったおじさまが、
お空に、還ってゆきました。
子どもたちを抱きあげる大きな手。
明るい笑顔と、元気な声が忘れられません。
「あぁ、どこに行ってしまったのかな…」
と、見上げた空には、
存在感のある、長い雲がなびいていました。
たくさんの方に愛されていたおじさまを、
一言で表すならば、感謝の人。
「今日も、一日ありがとう!」
と、奥さまと娘さん、それぞれに伝えて、
1日を終える、というのが日課だったそう。
ここ数日、真似をしてみたら、
子どもたちからも、
「ママ、今日も一日ありがとう!」
と、言葉にしてくれるようになりました。
不思議なことに、どんな一日も、
この一言で、報われるのです。
「大切な人と、今日、ここにいられた。」
それ以上、有り難いことは、ないのかもしれません。
大事なことを教えてくださって、ありがとうございます。
この世と、あの世。
見える世界と、見えない世界。
肉体の世界と、魂の世界。
生と死。
私たちは、どこから来て、どこにゆくのか、
そんなことを、よく、考えるのだけど。
2つの世界の境目は、実は、ゆるやかな、
グラデーションでつながっているのでは?
と、思っています。
「移ろいゆく」
という美しい日本語が表すように、
昼と夜の間には“ 夕暮れ時 ”がありますし、
この冬も、“ 三寒四温 ”を繰り返しながら、
ゆるやかに、春になっていきます。
そんな風に考えてみると、人も、また然り。
子どもと大人の間には、
“ 少年、少女 ”の時期がありますし、
赤ちゃんは、“ 十月十日 ”の歳月をかけて、
この世に産まれてきます。
私には、感じる能力はないし、
特定の宗教を信じるわけでもないけれど、
それが、自然の摂理ならば、きっと、
生から死も、グラデーションのように、移ろいゆくもの。
お空に還ってゆくには、おそらく、
産まれてくるのと同じくらいの歳月がいる。
そう考えるのが、自然だと思うのです。
だから、あの存在感のある雲は、
おじさま、なのではないかな。
信じるのは、生きている者の勝手、
ということで。
ここまで、遊びに来てくださって、
ありがとうございます。
もうしばらく、楽しんでいってくださいね。
かまくらのおと
白河 晃子
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