普通をしっかりやっていく

「普通をしっかりやっていく」

本当にそうだなと、本屋で思わず唸った。

今月号の暮しの手帖のコピーである。

浮いた話や、特別に惑わされず、
普通をしっかりやっていく。

暮らしも仕事も、つまるところ、
これが一番大事だと思う。

ただそれは、時間も手間もかかる上に、
人に見えない営みだ。

「しっかり」やっていくとなると、
簡単ではないのかもしれない。

毎日の掃除ひとつとってもわかるように、
褒められることもなければ、感謝されることもない。

家を整えるのは当たり前と分かっていても、

「どうせやるなら、ちょっと見てほしいな(知らせたいな)」とか、

「今日はちょっと手を抜いてもいいかな」

なんてワガママな思いが、ひょいと顔を覗かせるのは、私だけではないだろう。

そんな時いつも頭をよぎるのは、祖母だ。

祖母の家はいつも清潔に保たれ、
突然人がきても良いよう
お茶とお菓子の用意があり、
心地よく過ごせるよう
細部まで整えられていた。

昔何気なく見ていた景色が、
大人になった今強烈に思い起こされる。

それが一朝一夕に出来上がったものではなかったことを知り、
手間をかけることの尊さや、その時間を重ねてきた祖母の姿勢に、畏敬の念を感じるからだろう。

祖母は誰かに褒められたいなんて思っていただろうか。

答えは、否、だ。

なぜなら彼女は長い間一人暮らしで、
おそらく人生の多くの時間、
誰のためにでもなく、
ただ、普通をしっかりやってきた人だから。

知らぬ間に、とんでもないことを教えてもらっていたものだ。

この2月に94歳を迎える祖母は、大病もなく健在。

「おばあちゃんの人生は、楽しくて良い人生だった。ありがとう。ありがとう。」

というのが口癖だ。

その言葉が突きつけてくるものは大きい。

私の道のりはまだまだ長い。


かまくらのおと
白河 晃子

数日前に花屋で購入した「啓翁桜(けいおうざくら)」が咲きました。
山形で冬に咲く桜だそうですが、一気に気分は春になりました。

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