小さな優しさ

日曜日の夕方、久しぶりに小学生の子どもたちを、1000円カットに連れて行った。

その店は鎌倉駅前の大型スーパーと同じ建物に入っているので、買い物ついでに家族で訪れるのが恒例となっている。

いつもと違うのは、建物の外に、焼き芋のトラックが止まっていたことだろう。

「いしやぁ〜きいも〜、おいも」

あたりに響き渡る音声に人が集まっていた。

一段と寒気が強まった日で、私たちも心惹かれたが、いそいそと通り過ぎた。

そう、今日の目的は散髪なのだ。

面倒くさがりやの彼らが、ようやく重い腰をあげたのだから、気が変わらぬうちに、済ませなければならない。



1000円カットは、並んだ順で担当者が決まる。

ゆえに腕や相性には当たり外れがあるのだが、誰に当たったとしても、たいてい10分ほどで切り終わるので、長時間じっとしていられない小学生男子にはありがたいサービスだ。

受付を済ませ順番が来ると、夫は美容師さんに注文を伝えに行き、子どもたちは慣れた様子で散髪用の椅子に座りにいった。

その様子をじーっと眺めていると、子どもたちと鏡越しに目が合った。

少し緊張しているようだ。

リラックスさせようと、目一杯の笑顔を向けてみる。が、パッと目を逸らされてしまった。

こんな時、子どもたちが年頃に差し掛かっていることを不意に知らされる。

やきもきしても仕方がない。本に耽っていると、10分もたたずに長男が戻ってきた。

手際の良い担当者だったらしい。

スッキリした髪型が、なかなか似合っている。

本人も気に入ったようだ。



さて、次男もそろそろかと、彼の席に目を向けた途端、様子がおかしいことに気がついた。

鏡に映る彼が、いかにも不満げな表情なのである。

口を一文字に結び、鏡に映る自分を険しい目つきで凝視しているではないか。

ともすれば、担当の若い男性の美容師さんをギロリと睨みつけそうな勢いである。

散髪中の髪型を見ると、すぐにその理由がわかった。

短すぎるのだ。

注文した長さとは、ずいぶん違っている。

前髪は、眉毛よりはるか上・・・

クレラップのCMに出てくる女の子のようである。

次男は小学3年生の男子にしてはこだわりが強く、耳周りや襟足は短くしたとしても、前髪やトップは長さを残したスタイルが好きなのだ。

夫もそう伝えているはずなのだが、どうやら担当の美容師さんは新人らしく、一心不乱にハサミを動かし続けている。

時間も随分経っている上、次男の様子に気付く様子もない。

見かねた夫が「もうそのあたりで・・・」と止めに入って終了となった。 

椅子から降りてきた次男は、明らかに怒っていた。

「わぁ、かっこよくなったじゃん!」と開口一番声をかけてみたが、彼の表情はますます歪んだ。

「あのお兄さん、時間が長い!」
「首や背中がちくちくする!」

しばらくの間、いろいろな文句を漏らしていたが、それが本当の理由でないことは分かっている。

その証拠に、お店を出た途端、彼の目から大粒の涙が溢れ出た。

「どうした、髪型、気に入らなかった?」

と訊ねてみるが、俯いたまま身体を震わせている。

「ちょっと、短すぎた?」

頷いたのか、首を振ったのか。どっちともつかない仕草が返ってきたが、不貞腐れた目は確かに「そうだ」と訴えていた。

「そっか。美容師さんへの伝え方が悪かったね。でもまたすぐに伸びるよ」と、夫が次男の肩に手をかけた。

「その髪型も似合ってるよ」私はわざと明るく振る舞った。

しかし、こんな時の慰めの言葉ほど、心を逆撫でするものはないだろう。

次男は、さらに腹を立てた。

「もうやだ!明日学校行きたくない!」

しまいには顔を真っ赤にして、黙り込んでしまった。



ふと、自分も小さな頃、同じようなことがあったことを思い出した。

初めての美容院で、思いの外髪を短く切られてしまって、大泣きしながら母に抗議をしたのだ。

あの日の私も、翌日を思うと、たしかにお先真っ暗な気分だった。

大人にとっては大したことでなくても、子どもにとっては髪型ひとつが死活問題なのだろう。


「でも、美容師さんに途中で伝えたらよかったんじゃない?そこまで切らないでくださいって。」

彼が少し落ち着いたところで訊ねてみた。

恥ずかしくて言い出せなかったのか。はたまた、どう伝えたら良いかわからなかったのか、知りたかったのだ。

すると、意外な答えが返ってきた。

「だって、そんなこと言ったら・・・お兄さん、しょげちゃうもん。」

私はあっけにとられた。

そして次の瞬間、夫と顔を見合わせ大笑いした。

まさか新人の美容師さんを気遣ってるとは、思ってもみなかったのだ。

「そんなこと言って、結局、自分がしょげちゃってるじゃん!」

と突っ込むと、

「でも、自信なくなっちゃったら、可哀想だから・・・」

と消え入りそうな声が返ってきた。

「そっかぁ。確かにお兄さん慣れてなかったよね。3年生に、気遣われちゃったね。」

冗談ぽく返事をすると、次男も可笑しくなってしまったようだ。

泣いてるとも、笑っているとも、どちらともつかない表情を見せた。

わたしは、小さな優しさを誇らしく思った。



「焼き芋でも買って帰るか!」

突然夫が言った。

無論、子どもたちは大喜びである。

外はすっかり暗くなっていた。

焼き芋のトラックには依然として人が集まっている。

黒やグレーのコートを着た大人に混ざって、さっぱりとした小さな頭が2つ。一人前に列に並んだ。

そして焼き芋を受け取ると、熱い熱いと大騒ぎが始まった。

次男はすっかり元気を取り戻したようだ。

「半分個しよ〜!」と、こちらに駆けてきた。

「ありがとう、そうしよう!」

受け取った焼き芋を二つに割った途端、ふわっと甘い香りが広がった。

立ち昇る白い湯気は、なにかを優しく包んで、風に消えていった。


かまくらのおと
白河 晃子

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