夏休みの葛藤

明け方の空気は静かに澄んで
空の青は日に日に柔らかくなる。

最近まで大音量で鳴いていた蝉の多くは
その役割を終えたのだろうか。

涼しげな風が頬を撫でて通り過ぎていく。

こんなに暑い夏がやってきたというのに
秋はいつものように近づいてきている。

自然の些細な変化に安心と喜びを思わずにいられないこの頃である。


夏休みの最後に小学生の子ども二人と、母の住む都内の家に泊まりに出かけた。

都内の家と言ったのは、母は軽井沢と都内の複数拠点で生活しているからだ。

母は何年か前に再婚し、パートナーと悠々自適な生活を送っている。

この夏も、旅行に、ゴルフに、友人との集いにと予定が盛りだくさんだったらしい。

70歳を目前にしてなお、毎日遊んで回る体力があることは喜ばしいことである。

そんな事情でなかなか掴まらない母だが、孫や娘(私)の様子をいつもどこかで気にかけてくれている。

今回の滞在は、随分前から予定していたものだった。

夏休みの子どもたちと1ヶ月以上過ごすのは大変だろうと、母が気遣ってくれたのだ。

母には母の人生があるのだから「大丈夫。こっちのことは気にしないで」と言いたいところだが、余裕はない。

夏休みは、本当に大変だ。

毎日3食用意することに加えて、エネルギーを爆発させるように動き回る子どもたちと過ごす夏は、何日経っても慣れるものではない。

世のお母さんお父さんは、この期間をどうやり繰りしているのだろうと、毎年不思議に思う。


だからこそ束の間でも母に頼れるこの滞在を、私は楽しみにしていた。

しかし、小学5年と3年の男子を連れて移動するというのは、それだけでも大変だ。

とにかく「喧嘩」がついてまわるのだ。

まず、電車の移動が鬼門である。

鎌倉から都内までグリーン車に乗ったはいいものの、二人は前後の席を選んで着席した。

その時点で嫌な予感はしていたが、前に座った長男は、席に着くや否や、リクライニングを全開に倒したのである。

真後ろの席に座った次男は「狭い!戻せ!」と騒ぎ出した。

というのも、テーブルを広げて折り紙を始めようとしたところだったからだ。

しかし、長男は完全に無視である。

以前にも同じような出来事があり、嫌がらせと分かってやっているのだ。

私から長男に「椅子を戻しなさい」と伝えるが、言えば言うほど頑なになり、戻す気配がない。

北鎌倉を過ぎ大船に着くと乗客も増えてきた。
私は周りの目が気になり始めた。

いつになっても喧嘩が収束しそうにないので、最終的には次男を別の席に移動させ、二人を離して座らせることにした。

せっかく一緒に出掛けているのに、なぜ僅かな時間も楽しく過ごせないのだろう。

出だしからぐったりである。


都内で母と合流した後も、二人のいざこざは終わらない。

上野駅から科学博物館に向かっていたのだが、
その道すがら、母が持っていた「扇子」を見つけたのは長男だった。

また、嫌な予感がした。

それを借りた長男は「涼しい、涼しい」と、これ見よがしに仰ぎ出したのである。

その様子を次男が見逃すはずはない。

「お兄ちゃん、ずるい!僕にも貸して!」
と取り合いが始まった。

ただでさえ暑いのに、さらに気温が高まっていくように感じられる。

全く聞き耳を持たず、喧嘩を続ける二人に、私の苛立ちはピークに達していた。

「いい加減にしなさい!」と怒鳴る私。

その時、ぼそりと呟いたのは母だった。

「おばあちゃんが、余計なもの出さなきゃよかったねぇ…」

なぜ、母が反省しなければならないのだろう。

譲り合えないのは、私の影響なのだろうか。
周りの親子連れは、皆、和やかに見える。

心底、情けない気持ちになった。


夜になっても喧嘩は終わらない。

二人はテレビを見始めたのだが、なぜかくっついてソファに座るのだ。

他にも席があるにもかかわらず、である。

また悪い予感がした。

そして案の定、喧嘩が始まった。

「お前の手が顔に当たった」
という一言に始まり、
「ぶつかってくるな」
「お前が足で蹴ったからだ」
と、やり合いが続いていくのだった。

そんなにくっついて座ったら、いやでもぶつかるだろう。

離れて座ればいいものを、どちらも自分から譲ることができないのだ。

そんな光景を前に、またふつふつと怒りが沸いてきたが、散々喧嘩をしてきた1日の終わりだ。

もう怒鳴る気力もない。
私は大きくため息をついた。

突然、母が耳元で話しかけてきた。
「毎日これは大変ね」

私は苦笑いした。

そもそも私にとっても母にとっても
「兄弟」というのは未知の存在だ。

というのも、私は二人姉妹だったし、母も三人姉妹だったからだ。

私は母に訊ねた。

「昔は私も妹と散々喧嘩したけれど、ここまで酷くなかったよね…」

「そうねぇ。こんな酷くなかったね。男の子は声も動きも大きくて大変だわ」と母も失笑した。

不意に口をついて言葉が出た。

「もう疲れた。子育て終わりにしたい…」

自分でも驚いた。軽い気持ちで言ったつもりが、声は思ったよりも重く響いた。

子どもたちは蹴ったり叩いたりしながら、まだ喧嘩を続けているが、二人にも聞こえていただろう。

そんな言葉を吐くなんて自分勝手かもしれないが、出てきてしまうものはしょうがない、とも思った。

母親の気持ちというのは、おかしなものだと思う。

子どもへの愛情は誰よりも深いようで、時に、不思議なほど冷酷だ。

そして、実はその冷めた部分で、どうにか子育てをやっているのかもしれない。

子どもたちに冷ややかな視線を送る私を見て、母がふとこんな提案をしてきた。

「あと数日、子どもたちだけ預かってもいいよ」

子どもたちは喧嘩の手を止め、こちらを振り向いた。

そして「わーい!僕たちだけで、おばあちゃん家泊まる!」と喜び始めた。

呑気なものである。

母を気遣わせてしまったことを申し訳なく思ったが、弱音を吐き、甘えたかった。

僅かでも娘を楽にさせたいと思ってくれたに違いない。

私は一足先に鎌倉に帰り、子どもたちはあと1日、母の元に残らせてもらうことになった。


都内から鎌倉へ一人帰る道のりは、身体が軽く感じられた。

せっかく母にもらった時間をどう過ごそう。

都内にいるのだから、一人で映画や買い物でもしようか。少し遠回りをして帰るのもいいな。

そんなことを思いながらも、新橋を過ぎ、品川を過ぎ、気づけば一直線に鎌倉に向かっていた。

何でもできるはずなのに、心が向かないのである。

そのまま自宅に戻り、掃除をしたり洗濯を片付けたり、普段と変わらず過ごした。

しかも、おかしなことに、せっかく子どもたちと離れているのに、結局、考えているのは子どもたちのことなのである。

今頃、何をしているだろう。
おばあちゃんを困らせていないだろうか。
夜ご飯はどうしているだろうか。

子育てを束の間忘れたいのに、離れることは簡単ではない。

しかし、せっかくの一人時間である。

せめてもと、夕方になって近所の静かなカフェに出かけることにした。

ケーキとコーヒーを注文し、時間が取れずに溜まっていた本を読み始めると、ようやく自分に没入することができた。

それを読み終えるころには、心はすっかり満たされていた。

こんなことであっさりと元気になってしまう自分の単純さにいつも驚く。

外に出るとすでに陽は沈み、空に大きな半月が浮かんでいた。


自宅に戻るが、しんと静まった家は、どういうわけだか落ちつかない。

子どもたちのいない家は「空っぽ」という表現がふさわしく、自分自身をも虚しくさせるようだ。

その余白には、子どもたちに放った言葉や自分の態度への反省の気持ちが湧いてくる。

言い過ぎたのでは。もっと他にやりようはあったのでなはいか、と。

明日の午前中には、二人が鎌倉に帰ってくる。

「昨日は僕たちがいなくて、静かだった?」

子どもたちのおどけた声が聞こえたような気がして、胸がキュッと苦しくなった。

子育てとは、何なのだろう。
母親になるとは、どういうことなのだろう。

子どもが産まれて10年以上経つ今も、よくわからない。

けれど一つ確かなのは、今の私は、いつもより穏やかに、子どもたちに接することができそうだということだ。

しかし、この気持ちが長続きしないことも、私は知っている。

きっと明日以降も、子どもたちは同じように喧嘩して、私も同じように怒るのだろう。

そしてまた、子育てやめたい…と弱音を吐くかもしれない。

早々に布団に入り、寝ることにした。

残りわずかな夏休みを、どれだけ心穏やかに過ごせるだろうか。

せめて今この瞬間の心の動きを、忘れずにいたいものである。

夜の闇には、秋の虫の音が優しく響いていた。


かまくらのおと
白河 晃子


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