「朝の掃除の後に」

ゆらゆら立ち昇る煙を眺めながら、
その香りに身を委ねている時間が好きです。


特に時間は決めていないのですが、
我が家では、朝、拭き掃除を終えた後に焚くことが多い「お香」。


お香は、空間だけでなく、人の内側も、
すっきりと、そして、穏やかにさせてくれますね。
 


 
私は「瞑想」というものが、非常に苦手。


身一つで、目を閉じても、
ちっとも頭が空っぽにならないのです。


逆に、思考を止めようと思えば思うほど、
考えごとや雑念が湧いてくる。苦笑


でも、「拭き掃除」や「お香」に集中している間は、私は空っぽ。


「瞑想状態」に限りなく近いのだろう、
と思っています。


ですから「瞑想」が苦手だけど、
頭と心をすっきりさせたい方は、

こんな風に、

「 “ 目の前の何か ” に集中する時間」

を持つと良いのかもしれません。


この静謐な朝の時間は、
大抵、子どもたちの起床とともに、強制終了となるのですが、

頭と心がすっきりしていると、
あわただしいはずの朝も、
どこかゆったり過ぎていくように感じるから、不思議なものです。
 


(いただいたお香や、お気に入りのお香たち。もっとあります❤︎)

 
 
そういえば、私、昔は、
「お香」が好きではありませんでした。

 
(子どもの頃は、そういう方も多いかな)

 
 
というのも、私は、母子家庭で育ち、
幼い頃、祖父母と暮らしていたのですが、

当時、いわゆる「ニュータウン」に住み、
周りは、核家族が多かったものですから、

他の家と違うことを、「恥ずかしい」と思っていたのです。


ですから、暮らしの中にある、

お煎餅や、焼き魚や、お仏壇へのお供え、早寝早起き、お着物、民謡…

そういった、

「おばあちゃんっぽいもの」

の一切が、古臭くて、嫌だなぁ…
と思っていました。


お隣のお家は、オシャレな食卓だろうし、
お供えなんて習慣はないのだろうと、勝手に、思っていたの。


お香もその一つ。


でも、大人になるというのは、不思議なものですね。


祖父母が、毎日していたことの意味を知り、

祖父母と共有した「もの・こと・時間」が、
結局のところ、私のルーツと悟ったことで、

嫌だなぁと思っていた全てのことが、
懐かしく、ありがたく、感じられるようになっていきました。


祖父母は、私の幼い考えもお見通しで、
全部ひっくるめて、大きな愛で、受け止めてくれていたんだろうな。


…話が脱線してしまいましたが、

お香、というのは、そんな思い出も含めて、
私を穏やかにさせてくれるものなのかもしれません。


さて、今朝は、少し寒さが和らぎましたね。
良い一週間のスタートになりますように。


かまくらのおと
白河 晃子

Recommend

Instagram

view Instagram