「日本のヤバい女の子」

先日、鎌倉のブックカフェで、興味深い本に出会った。

はらだ有彩さんの「日本のヤバい女の子」(柏書房)という本だ。

ウェブマガジン「アパートメント」に、2015年2月から2017年8月にかけて掲載された作品を、まとめたものらしい。

ぐいぐい引き込まれ、ほぼ一気読みしてしまった。

本の主役は、日本の神話や昔話に出てくる女性たち。

彼女たちのエピソードを取り上げ、「ヤバい女の子」という切り口で、軽妙に突っ込んでいく。

学術的な解説ではないので、古典に楽しく触れてみたい、という方にはおすすめだ。

言われてみれば、その世界では、

「えっ!あり得なくない?!」
「本当だったら、ヤバいよね!」

と思うような女性の「奇行」や「豹変 」が、当たり前のように起きる。

例えば、浦島太郎に玉手箱を持たせた乙姫も、

片想いした僧侶を追っかけ回した挙句、鐘もろとも焼き殺してしまう清姫も、

一枚…二枚…と恨みがましく、皿を数え続けるお菊さんも、

結婚する気もないくせに、求婚者に無理難題をつきつけるかぐや姫も。

よくよく考えると、かなりヤバい。

猟奇的としか言いようがない。

けれど、多くの場合、「作り話だからね」で片付けられてしまうのではないだろうか。

私も、そう思っていた。
 

 
ただ、この作者は違った。
 
神話や昔話の女性たちも、私たちと同じ、血の通った一人の人間として捉え、
あたかも、女友達に語りかけるかのように、その感情に迫っていくのだ。

どうして?
その裏にはどんな思いがあったの?
本当は何を望んでいたの?

その考察が、なんとも斬新。

人の心の奥深くにある、相反する気持ちや、深い情念、思い通りにならない絶望…そういった説明しようもない感情を、すくい上げていくのだ。

遠い遠い昔話を、現代に持ち込み、私たちの世界でもそういうことあるよね、と結びつけていく視点も鋭い。

毎日、色々あるけれど、こんなにも勇敢に生きた女の子たちがいたのだから、私たちも、前を向いて自分たちを生きよう!と、励まされているような気がしてくる。

さらに、《テキストレーター》と称する作者の、枠にとらわれない自由な表現が、その考察や提案を、とても軽やかに届けてくれた。

この本を読み終えた後には、非常に不思議な感覚が湧き上がってきた。

出会ったこともない彼女たちが、本当に存在したかのように思えて、愛おしさが込み上げてきたのだ。

そして、ヤバい女の子たちが、誰よりも人間らしく思えてきた。

作者のナビゲートで気づいたけれど、
彼女たちは、ずっと、エールを送ってくれていたのかもしれない。

「人には理解されない “ ヤバさ ” も全開に、生きていい。むしろ、人間ってそういうことだよ」と。

この本を読んで、改めて分かったことは、日本の神話や昔話には、大事なことは、直接的には描かれていない、ということだ。

逆に言えば、言葉になっていない部分にこそ、大事なメッセージが潜んでいる。

「なんで?」「どうして?」と想像し、自分ごととして捉えていくことを、意図しているのかもしれない。

まさに、この作者のように。

その行く末は、深い人間理解に通じているような気がする。

本を閉じ、とても温かい気持ちになった。

現実のヤバいことも、もう少しだけ、優しい目で見てみよう。
 
 
かまくらのおと
白河 晃子

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