「フェイラーのハンカチ」

ある時、

ちょっと良いハンカチが欲しいな、

と、思い立ち、
デパートに求めにいったことがあります。


子どもたちが小学校に上がり、

私のハンカチで、彼らの鼻水や食べこぼし、
泥んこの手を拭う機会がめっきり減った、
と、気づいたタイミングでもあり、


自分のためにハンカチを選びたい、

と思ったのです。


その時、真っ先に浮かんだのが、

フェイラーのハンカチでした。


独特の花柄と色使いが印象的で、
調べてみると「シュニール織」という、
独自の製法で作られているそうです。


実は、このハンカチには、
ちょっと苦い思い出があります。
 

 
私が、中学生ぐらいのころだったと思います。


当時、同居していた祖母が、あるとき突然、
ハンカチを贈ってくれたことがありました。


「これ、良いものなんだけど、使う?」と。


そのハンカチは新品なのですが、
買ってきたばかりというより、
しばらくの間、仕舞われていたように見えました。


もしかすると、祖母も、
人から頂いたものだったのかもしれません。


それが、まさに、
フェイラーのハンカチでした。


朧げな記憶ですが、
黒地にピンクと紫の花があしらわれた
デザインのものだったように思います。


祖母自身がフェイラーのものを、
愛用していたように記憶していますから、
私を喜ばそうとしてくれたに違いありません。


しかしながら、当時の私は、
フェイラーなんて、名前も知りませんし、

このハンカチの素晴らしさを、
知るよしもありませんでした。


むしろ、それを初めて見た時は、

なんて毒々しい色合いで、
悪趣味なのだろう…

とさえ、思ったものです。

(フェイラーさん、ごめんなさい…)


また、祖母が教えてくれることを、
古臭いとか、恥ずかしい、そんな風に思う年頃でもありましたから、

私は、祖母がハンカチを差し出した、その手を見て、

「そんなの、いらない」と、

ぶっきらぼうに、言ったのでした。


その時の祖母の表情は覚えていませんが、
何を言うでもなく、その手を引っ込めました。
  

  
それから何年も立ち、祖母も他界し、
その記憶も薄れていたのですが、
不思議なものです。


大人になり、

ちょっと良いハンカチを持ちたいな、

と思った時に、
真っ先に、浮かんだのは、

フェイラーのハンカチでした。


祖母が、良いものだよ、と、
触れ込んでくれていたからでしょう。


同時に、あの時のことを思いました。


どうして、私は受け取らなかったのだろう。
祖母は、寂しかっただろうな、と。


実は、そんな気持ちが、私の中で、
しこりとして残っていたのかもしれません。
 
 


 
デパートで、久しぶりに目にした 
フェイラーのハンカチは、

記憶の中のそれと違って、
発色が美しく、絵柄もきめ細かく、
実に、美しい印象を受けるものでした。


祖母が持っていたような、
クラシカルなものばかりでなく、

デザインや色のバリエーションが、
豊富になっているようにも思いました。


私も、当時の祖母に、
少しだけ、年齢が近づいたからでしょうか。


かつて、毒々しいと思った絵柄を、
美しいと感じるようになるとは、不思議なものです。


その中から、何点か、
好みのものを選んで以来、

フェイラーのハンカチは、
私のお気に入りとなりました。


それを、携えていると、
どことなく優雅な気持ちになりますし、

誰に見せるわけでもないですが、
例えば、お手洗いに行くたび、
ハンカチを見て、気持ちが上がるのです。


もちろん、見た目だけではなく、
機能面においても、優れていると思います。


プクプクとした独特の肌触り
厚みと柔らかさも、たまりません。


もしかすると、祖母は、そんなことを、
共有したかったのかもしれないな、と思います。


後悔先立たずとは、よく言ったもので、

「あの時、こうしていれば…」

は、なくなりませんが、


大人になるというのは、

未熟な自分を知り、
かけてもらった愛を、改めて知ること、

なのかもしれないな、と思います。


もし、祖母に会えるなら、

「私も、今、同じように愛用しています」

そう、伝えたいです。


かまくらのおと
白河晃子

Recommend

Instagram

view Instagram