花火の思い出
- 2023-05-27
- くらしのおと
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昨夜は逗子の花火大会だった。
コロナ禍で中止が続き、実に4年ぶりの開催だったそうだ。
夕方ごろから逗子に向かう電車は混雑していて、鎌倉駅の界隈も殺伐としていた。
我が家は子どもたちの習い事があったので、会場に行くことは早々に諦めていたのだが、
夕食時に外からドーンドーンと地響きのような音がするので駆け出てみたら、幸運なことに海の方向にしっかりと花火を見ることができた。
黒い空に次々と打ち上がり消えていく光と音。
あぁ、夏が始まる、そんな実感を得たのは、きっと私だけではないと思う。
ところで花火を見ると必ず思い出すことがある。
もう20年近く前。大学の夏休みに友人たちと訪れた熊本での出来事だ。
すっかり陽が沈んだ街の中を、土手のようにちょっと小高くなった道を歩きながら、その日泊まる宿に向かっている最中だったと思う。
私は10人ぐらいの友人とともにいて、その中にオーストラリアから日本へ来ていたBenという男の子がいた。
友人の一人がバイトを通じて意気投合したようで、彼も仲間に入れて、皆で一夏を一緒に過ごしたのだ。
そのとき何を話していたかた全く覚えがないが、カタコトの英語を交えながら、初めて訪れた熊本のことや、一日のできごとを振り返っていたのではないだろうか。
その時だった。
後ろから、ドーンという大きな音がした。
振り向くと空一面に大きな光の華が広がっている。
わぁ・・・
息をのむ間に、また新たな火の玉が揺らぎながら垂直に空を昇り、オレンジや金色の花火が次々に開いていく。
私たちは嬉しくなって、その場に座り込んで鑑賞することにした。
あぁ、夏だなぁ・・・
しみじみというより、今日の一日が幸運に彩られたような気分になった。
ふとBenを見ると、なぜか怪訝そうな顔をしていた。友人の一人が、彼に「花火どう?」と話しかける。すると意外な答えが返ってきた。
「うるさいし、ちっとも良くない」
周りにいた私たちは、あっけにとられた。
「え?そうなの?!花火、きれいじゃない?」と聞き返しても、
「うーん、全然きれいと思わない」
そんな答えが返ってきた。
私たちは、すっかりしらけてしまった。
Benは最後まで付き合ってくれたけれど、花火が終わるやいなや、みな静かにその場を離れたように思う。
よくよく考えると、花火が夏の風物詩というのは日本の文化であって、そうか、海外ではそうではないのだと、あらためて思った。
海外ではイベントや祭りごとで大騒ぎをするときに、花火が使われることが多いらしい。
だから、ただ花火を見るために街中の人が一夜に集ったり、職人の技に感動したり、郷愁を覚えることはないのだと。
良いとか悪いでは決してない。海外には海外の慣わしや感じ方があるのだと思った。
ただ私の中には、なんとなく寂しさが残った。
今も花火を見るとこの日のことを思い出す。
だから花火の日に海外の人と出くわすと、この方は今日の夜をどう思うのかなと、勝手にドキドキしたりしている。
Benはその後どうなったか知らない。オーストラリアに帰って元気でやっているだろうか。
かまくらのおと
白河晃子
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