花火の思い出

昨夜は逗子の花火大会だった。
コロナ禍で中止が続き、実に4年ぶりの開催だったそうだ。

夕方ごろから逗子に向かう電車は混雑していて、鎌倉駅の界隈も殺伐としていた。

我が家は子どもたちの習い事があったので、会場に行くことは早々に諦めていたのだが、
夕食時に外からドーンドーンと地響きのような音がするので駆け出てみたら、幸運なことに海の方向にしっかりと花火を見ることができた。

黒い空に次々と打ち上がり消えていく光と音。

あぁ、夏が始まる、そんな実感を得たのは、きっと私だけではないと思う。


ところで花火を見ると必ず思い出すことがある。

もう20年近く前。大学の夏休みに友人たちと訪れた熊本での出来事だ。

すっかり陽が沈んだ街の中を、土手のようにちょっと小高くなった道を歩きながら、その日泊まる宿に向かっている最中だったと思う。

私は10人ぐらいの友人とともにいて、その中にオーストラリアから日本へ来ていたBenという男の子がいた。

友人の一人がバイトを通じて意気投合したようで、彼も仲間に入れて、皆で一夏を一緒に過ごしたのだ。

そのとき何を話していたかた全く覚えがないが、カタコトの英語を交えながら、初めて訪れた熊本のことや、一日のできごとを振り返っていたのではないだろうか。

その時だった。

後ろから、ドーンという大きな音がした。

振り向くと空一面に大きな光の華が広がっている。

わぁ・・・

息をのむ間に、また新たな火の玉が揺らぎながら垂直に空を昇り、オレンジや金色の花火が次々に開いていく。

私たちは嬉しくなって、その場に座り込んで鑑賞することにした。

あぁ、夏だなぁ・・・

しみじみというより、今日の一日が幸運に彩られたような気分になった。

ふとBenを見ると、なぜか怪訝そうな顔をしていた。友人の一人が、彼に「花火どう?」と話しかける。すると意外な答えが返ってきた。

「うるさいし、ちっとも良くない」

周りにいた私たちは、あっけにとられた。

「え?そうなの?!花火、きれいじゃない?」と聞き返しても、

「うーん、全然きれいと思わない」

そんな答えが返ってきた。

私たちは、すっかりしらけてしまった。

Benは最後まで付き合ってくれたけれど、花火が終わるやいなや、みな静かにその場を離れたように思う。

よくよく考えると、花火が夏の風物詩というのは日本の文化であって、そうか、海外ではそうではないのだと、あらためて思った。

海外ではイベントや祭りごとで大騒ぎをするときに、花火が使われることが多いらしい。

だから、ただ花火を見るために街中の人が一夜に集ったり、職人の技に感動したり、郷愁を覚えることはないのだと。

良いとか悪いでは決してない。海外には海外の慣わしや感じ方があるのだと思った。

ただ私の中には、なんとなく寂しさが残った。


今も花火を見るとこの日のことを思い出す。

だから花火の日に海外の人と出くわすと、この方は今日の夜をどう思うのかなと、勝手にドキドキしたりしている。

Benはその後どうなったか知らない。オーストラリアに帰って元気でやっているだろうか。


かまくらのおと
白河晃子

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