かいこがやってきた

梅雨の気配とともに、我が家にかいこがやってきた。

小学3年生の次男が、学校の担任の先生からもらってきたのだ。

「見てみて!葉っぱの下に小さいのが二匹いるんだよ!濡らしちゃダメ、触ってもダメだからね!」

学校から帰ってきた息子は、教科書が入ったリュックを放り投げ、かいこと桑の葉が入ったプラスチックの容器を大事そうに抱えている。

(えっ!えっ!えーっ!!!)

わたしは大の虫嫌いだ。

心の中では絶叫していたが、喉まで出かかった言葉をどうにか飲み込んで、興奮気味の息子に耳を傾ける。 

「後で桑の葉とってくる!新鮮なものじゃないと食べないんだって。明日の朝また取りに行くから、早く起こしてね!」

息子は言いたいことだけ言い終えると「じゃね!約束あるから!」と勢いよく友だちと外へ遊びに出掛けていってしまった。

かいこを私の前に置いて。

・・・

おそるおそる、プラスチックの箱を覗き込んでみる。

1cmほどの白いものが、かすかに動いた。鳥肌がたった。


よくよく思い返すと、こういうことは前にもあった。

ダンゴムシ、バッタ、ザリガニ・・・

その日はいつも突然やってくるのだ。

男子を育てて10年。しかも自然豊かな(虫いっぱいの)鎌倉に住んでいる。そういった類のことには、それなりに免疫がついてきたと思う。

(いちいち、ギャーとかヒャーとか言わなくなった。)

ただ、やはり嫌いなものは嫌いである。

しかも、今回はかいこときた。

以前、群馬県の富岡製糸場で見た巨大なかいこを思い出した。そこでは観光用に、複数の幼虫が飼われているのだ。

葉っぱを食べる様子がモニターに鮮明に映し出されていたのだが、むしゃむしゃと動く口もとが、本当に不気味だった。

この虫たちが美しい絹を生み出すのだから・・・と思ってみても、どうにも割り切れない。

これが、家にやってきたのだ。

とうの息子は世話をすると張り切っているが、日中は学校へ出かけてしまう。

一方、私は基本的に自宅で仕事をしているため、彼らと一番長く時間を過ごすことになるのは、結局私なのだ。

ふーっとため息をつく。

次男には、
「明日先生に返してね」
そう言おうと思った。

しかし、夜帰ってきた息子を見て、何も言えなくなってしまった。

片手に数枚の桑の葉を持ち、目を輝かせている。かいこの夜ご飯を摘んできたのだという。

さらに翌朝は、ずいぶん早起きをして、近くの桑の木までまた葉っぱを摘みに行っていた。

息子曰く、かいこは新鮮な葉っぱしか食べないそうで、これから毎日朝と夜に桑の葉を摘み行くというのだ。

ちなみに、彼は人一倍桑の木に詳しいと思う。学校からの帰り道に、その実を探し回っているからだ。

毎年4〜5月ごろにピンクの実をつけ始め、ちょうど今頃、赤黒く熟していく桑の実は、甘酸っぱくて美味しい。

近所中の子どもがそのことを知っていて、みな桑の木を探したり、熟成の頃合いを楽しみに待っているのだ。

(ピンクの実はまだ酸っぱい。写真中央のような赤黒い実は食べごろ。茶色くなってしまうと遅すぎる。)


話を元に戻すと、かいこは人の手なくしては生きていけない虫のようだ。

新鮮な葉っぱはもちろん、かいこを入れているケースの掃除や、湿度や涼しさも重要らしい。
成虫になったとしても人の手の改良によって飛ぶことができないのだそうだ。

果たして息子の情熱がどれだけ続くだろうと見ているが、かれこれ5日間は甲斐甲斐しいお世話が続いている。

こうなると息子に対してなのか、かいこに対してなのか、妙な情がわき始めてしまう。
これがいつものパターンなのだ。

ついに、かいこは我が家に居ついてしまった。

さぁ、これからどうなるだろうか。

白状すると、虫や生き物がやってきた日に一番嫌がるのは私なのだが、それがいなくなった時に一番寂しがるのも私だ。

結局、家の中で一番長く一緒に時間を過ごすのが私だからだろう。

仕事をしていている間、あるいは、家事をしている間に、気が付かないほどの小さな音や、小さな動きが私のうちに入り込んで、それが日常になっていく。

だから、その気配がなくなった途端に、何かぽっかり穴が空いたような気になって虚しくなるのだ。

ダンゴムシも、バッタも、ザリガニの時も、そうだった。

私は虫が嫌いだ。けれど、命と一緒いる、というのはそういうことなのだろう。

きっと、かいこもすでに私のうちに入り込んでいる。ここまできたら殺生もできないし、見守るしかない。

ちなみに、かいこがやってきた5月末は、日本に古くからある季節の考え方では、

「蚕起食桑 (かいこおきてくわをはむ)」

という時候だそうだ。

桑の葉がいっぱい茂り、かいこが桑の葉を盛んに食べて成長するという意味らしい。

今目の前で起きていることではないか・・・

見た目はいまいちだけれど、日本の季節の趣として、どうにか受け止められるようになりたいものである。



かまくらのおと
白河 晃子



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