かいこが繭になりました

次男が育てていた蚕が、全て繭になりました。

全部で6匹です。

5月末に小学校から幼虫を連れて帰ってきた時には、正直ぞっとしたのですが、(虫が苦手です)
一ヶ月の間に心境の変化がありました。

情が湧いた、それだけでは言葉が足りません。
小さな生命に思わず心打たれました。


最初1cmもなかった小さな身体は、朝も夜も一心不乱に桑の葉を食べ、日に日に大きくなっていきました。

蚕は甲斐甲斐しいお世話が必要な生き物です。
毎日新鮮な桑の葉をあたえる必要があり、糞もたくさんするので掃除もかかせません。

息子が忘れた日は、気になって気になって。結局わたしが手出し口出しすることになります。

大きさは三週間あまりで大人の人差し指ほどに育ちました。

可愛いと形容するにはあまりにも不気味な容姿なのですが、
その様子を追わずにはいられない不思議な魅力があり、
他の言葉では置き換えられない可愛さを、やはりどこかに感じているのです。

時を迎えると、誰に教えてもらうでもなく、糸を吐く練習が始まりました。


まずはハンモックのような糸のベッドを、試しに、あちらこちらに作ります。

そして一番収まりの良さそうなところを見つけると、一夜にして繭を創り上げていくのです。
身体を上手に縮めて、内側に自分を収めながら。

その様子は見事としか言いようがありません。

昔の人が「お蚕さま」と呼んだ理由が少しわかった気がします。

それは、絹になる、つまり、お金になるということだけではなかったと思います。

刻まれたままに生きる姿が、とにかく健気なのです。

大袈裟かもしれませんが、人の営みとはまったく別の尊い世界を見たような気がしました。

繭はおおよその形が見えてきた段階では、まだ中が透けて見えます。
窓から差し込む雨上がりの陽射しを受けて、おぼろげな楕円の輪郭が輝いていました。

中でせっせと糸を吐き続ける蚕の姿は、その交錯が幾重にもなり、雪のような白さが濃くなるほどに、だんだんと見えなくなっていきます。


繭を作り始めて2日が経つと、キュッキュッという音も聞こえなくなり、静かになりました。

6匹すべて繭になると、次男の部屋にはさらに静けさが広がりました。

そのとき初めて寂しいと思いました。
いつの間にか息子以上に夢中になっていたようです。

残念ながらこの蚕は成虫になることはありません。

糸にする、あるいは、繭の形をそのまま活かして作品にするのだそうです。

もし羽化させたとしても、たまごを産んだら終わりです。
長く生きることはありません。

この繰り返しにはどんな意味があるのだろうなと思います。

蚕一つでよくもこんなに書くことがあるものだと我ながら思いますが、
どんなに小さくても命があるということは、考えることが増え、見える世界が広がるということです。

本当に育ててもらっているのは、人の方なのだろうと思いました。

また機会があれば一から育ててみるのも良いなと思います。
虫嫌いのわたしにとっては、すごい進歩!


かまくらのおと
白河晃子

Recommend

Instagram

view Instagram