治すではなく、付き合っていく

最近、夕方の空がきれいで、言葉もなく見入っています。

燃えるような夕焼けではなく、パレットの上で水と絵具を溶かし合わせたような、柔らかく静かに迫ってくる色なのです。

一言で表現できないほど複雑な色彩が、完璧に調和して、ゆっくりと無彩色に沈んでいきます。

毎日同じ夕方を迎えているのに、少しずつ色彩が違うのはなぜなのでしょう。

家の中の小さな窓から眺めているだけなのですが、自然の美術館のようで、これほど満たされる時間はありません。


実は先日、手術を受けました。
手術といっても、日帰り1時間ほどで終わる簡単なものです。

半年前ぐらいから、胸元にぽつりとできた赤い発疹が気になっていたのです。

皮膚科で塗り薬を処方してもらっても一向に良くならない。

「悪いものではないと思うけれど、このまま薬を続けても良くなっていくように思えない。皮膚組織の検査もかねて切り取ってしまってはどうか。」

いつも親身に相談にのってくれる医師から、春の終わりにそんな提案を受け、意を決して手術を受けることにしました。

発疹は大きくも小さくもならず、痛くもなかったのですが、季節が進み服装も薄着になってきたので、見た目が気になりますし、一体このままどうなっていくのか分からない不安をうっすら抱えているより、けりをつけてしまった方が良いなと思ったのです。

医師からのご紹介で腕の良い先生とのご縁があり、手術は無事に終わりました。

組織検査の精密な結果はまだしばらくかかるようなのですが、執刀医の所見では悪いものではなさそうとのこと。

術後の経過は良く、6月末の抜糸を待つのみです。

(6月頭につけた梅シロップと梅干しが良い感じに熟してきました。嬉しい。)


少し遡って、4月の初めに健康診断を受けました。

フリーランスなので協会健保の健康診断を毎年受けているのですが、昨年タイミングを逃してしまい二年ぶりとなりました。

その結果が、梅雨入りの頃、A4サイズの白い封筒に入って届きました。

意気揚々と開いてみると「要観察」という診断が、胃腸と婦人科系の3項目に上がっていました。

ショックでした。

というのも健康には自信があり、これまで何も引っかかったことがなかったからです。

丈夫に産んでくれた両親に感謝するばかりですが、これまで心に留めていたでしょうか。
不安が押し寄せ所在なくなる私を、もう一人の私が冷静に見ているように感じました。

後日、健康診断を受けた病院にアポイントを取り、医者から直接説明を受けることができました。

40代ぐらいの丸いメガネをかけた、ふくよかな女医さんでした。

私は随分と深刻な顔をしていたのでしょうか。
開口一番「全然、心配ないわよ〜」と一笑されました。

「でも・・・」と言いかけたものの、女医さんは私の言葉を待たずに説明をはじめました。

「あなた今年40でしょう。
これからはね、ちっちゃなポリープとかのう胞とかね検査すると大体こういうの出てくるの。
健康診断は早期発見と意識向上のために、少し厳しめな見せ方をしているけれど、定期的に様子見ながら付き合ってくしかないのよ。
本当に深刻なものの可能性があれば、病院からすぐに精密検査しなさいって通知が届くから。
はい、大丈夫。また来年、健康診断受けてくださいね。」

私は心底ホッとして、肩の力がするすると抜けていきました。

と同時に40歳になるという肉体的変化を、いやが応にも感じていました。

今までなら悪いところが見つかっても、すぐに治すことができたのです。病気も傷も。
そして、まっさらな自分に戻って次の日が始まりました。

ニキビや発疹だって今までもあったけれど、半年も治らないなんてことはありませんでした。

風邪なら1〜2日寝ていれば、何も引きずることなくころっと元気になりました。

でも今はどうでしょう。風邪が治っても、咳だけ1ヶ月引きずるとか、なんとなくだるさが抜けない、なんてことが増えてきたように思います。

これからは、
治すではなく、付き合っていく
そんな段階に入っていくのだなと思いました。

病院の診察室から出ると、待ち合いに座る人たちが目に入りました。
慣れた様子の方もたくさんいます。長く通っているのだろうなと思いました。


沢村貞子さんのエッセイに印象的な一文があります。

自分のことをよく知って、だましたりすかしたりしなきゃあね。
手入れしながら、繕いながらでも、結構持ってますよ。

まさに「自分のことを手入れしながら繕いながら生きていく」ということなのですが、正直これまであまりピンときていませんでした。

しかし今回の手術や健康診断があって、初めて自分ごととして深く腹に落ちる感覚がありました。

病気や傷に象徴されるように、自分との付き合い方そのものが変わっていくのでしょう。

治そう、取り除こうと躍起になるのではなく、焦らず、ゆっくり、長い目で、自分を見ていく必要があるのかもしれません。

落ち込んでいても仕方ありません。上手に自分の機嫌をとって、取り繕う過程にも喜びを見出して、前に進んでいきたいものです。

ふと、夕暮れに惹かれるのは、肉体的な変化が関係があるのかもしれないと思いました。

朝日や夏の日差しを嬉しく思うことはあっても、暮れていくものをジーっと見つめることはなかったからです。

心惹かれる景色が変わるように、自分自身も変わっていきます。


かまくらのおと
白河 晃子

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