祖母の着物と桐だんす

ある日突然始まった蝉の声は日に日に賑やかになり、あっという間に鎌倉は夏を迎えています。

一概に蝉と言っても、
夏の最初に鳴き始めるのがニイニイゼミで
最後に鳴き始めるのがツクツクボウシだと
お世話になっている整体の先生に先日教わりました。

確かに耳を澄ませていると、
チーーーーーというニイニイゼミの高い鳴き声がよく聞こえます。

先生の家の近くでは、最近夜になると、脱皮直後の蝉とよく出会すと言っていました。

透き通った羽が美しく、地面をゆっくりと移動しながら木に登っていく姿が、懸命でかわいいのだそうです。

想像してみましたが、私は鳴き声だけで十分と思いました。

それにしても刻々と変化する蝉の鳴き声に、ー夏の移ろいまでも感じることができるとは。日本人の感性の素晴らしさを改めて思いました。

鎌倉の住宅街は街灯が少ないので、外が暗くなるとともに蝉も鳴き止んでいくようです。

日が傾き、音が鎮まり、何でもない一日が終わっていく。その景気が好きです。


近々、我が家に桐だんすがやってくるかもしれません。

長年祖母が暮らした家の和室に置かれていたものです。

これまで深く気に留めたことはなかったのですが、一ヶ月前に祖母が亡くなり、いずれ家を処分すると父に言われた時に、真っ先に頭に浮かんだのが桐だんすでした。

中には着物が仕舞われていました。

着ている姿は見たことがないのですが、若い頃使っていたのでしょう。

とても良い状態で保存されていました。

昔のデザインなのに今見ても決して古臭くありません。
むしろ洒落て見えるのが不思議です。

祖母は目が大きく口が小さくてお人形のように可愛い子だったと、昔、聞いたことがあります。

着物を着て電車で出かけると、見知らぬ男性にじーっと見惚れられてしまう、そんなことがよくあったそうです。

10代の頃事務員として入った会社では、同僚の男性に好意を寄せられていたようです。

祖母は全く気づかなかったようなのですが、
結婚して何年も経った後、その同僚の方と再会した時に、
後生では必ず一緒になってほしいと、泣いて懇願されたそうです。

そんな青春を見守ってきた着物が、私のところにやって来ようとしています。

もっと色んな話を聞いておけば良かったと思いますが、祖母の人生を思いながら着物を見つめていると、次から次に物語が立ち上がってくるように感じます。


実は今、茶道のお稽古と並行して着付けを習っています。
着物を譲り受けるには、悪くないタイミングなのかもしれません。

ただ、いずれはと思っていたものの、着付けも点前も半人前の今の私に、ちゃんと扱えるだろうか、宝の持ち腐れにならないだろうかと、いささか早い展開に動揺しています。

また、そこに染み込んでいる時間や、祖母が大切にしてきた何かを一緒に受け取るわけですから、買い揃えるのとはまた違った心構えが必要になると感じています。

しかし、祖母は新しいことにどんどん挑戦していく人でしたから、後押しをしてくれているのかもしれません。

80歳を過ぎて太極拳を習い始め、90歳を過ぎてからは読書の速読を熱心に学んでいました。

他にも様々ありますが、中でも驚きだったのは、株の売買が得意だったことです。
ずいぶん前に始めたようですが、祖母は好機を逃しませんでした。

準備が整うのを待っていたらいつまで経っても始まらないよと、言ってくれているのかもしれません。

桐だんすはそこそこ大きいのですが、採寸してみると我が家にも置けそうだということがわかりました。

着物はそのままでは袖の長さが合わないので、お直しをしてもらおう。頭の中ではもう一人の私が準備を始めています。



かまくらのおと
白河 晃子

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