幾春かけて老いゆかん〜歌人 馬場あき子先生のこと〜

昔、映画館のチケットは当日券のみで、座席は早いもの順だった。

昔といっても15年ぐらい前まで、
それが一般的だったのではないだろうか。

今のようにオンラインで事前予約するなんて便利なシステムはなかった。

急にそんなことを思い出したのは、
新百合ヶ丘のミニシアターのHPを見ていた時だ。

その名の通り、文化的な作品を上映する映画館で、大衆的な作品は扱っていない。

上映規模が関係しているのかわからないが、
チケットの購入方法は昔ながらのスタイル、つまり「当日券のみ」を貫いているようだ。

そんな映画館へわざわざ足を運ぼうと思ったのには訳があった。

どうしても観たい作品があったのだ。

この5月に公開された歌人・馬場あき子先生の半生を描いたドキュメンタリー

幾春かけて老いゆかん

(舞台挨拶からもお人柄が伝わってくるので是非ご覧になってほしい)


全国の映画館で上映が始まっているが、
新百合ヶ丘のミニシアターでは、7月に馬場先生と監督のトークイベントが開催される日があることがわかったのだ。

行かねばならないと思った。


初めて馬場先生を知ったのは、
能「隅田川」を鑑賞した時だ。

喜多流能楽師で人間国宝
友枝昭世さんがシテを務める演目で、
作品の解説者として舞台に現れたのが先生だった。

小柄ながら能楽堂全体によく通る声と、
目の前の人に語りかけるように、生き生きと話す様に一気に引き込まれた。

チャーミングな振る舞いと、時折交じるユーモアに会場がドッと湧く。

解説は決して堅苦しいものでなく、
人生経験と和歌の見識を交えながら自由自在に展開されるものだった。

これまでもいくつか能舞台に触れてきたが、
いつもどこか遠くに感じていたその世界が、グッと身近に感じられるようになったのは、先生の解説のおかげといっても過言ではない。

誰にでもわかる言葉で、演目の要所を伝えてくださる。

その解説が、90年を越える人生と博識に支えられていることは明らかだった。


その後もう一度先生の能の解説を伺う機会があった。

国立能楽堂で催された
能「道成寺」を鑑賞した時だ。

この時は、はっきりと馬場先生の解説を目当てに訪れた。

道成寺は、

女人禁制の寺に現れた白拍子が、
舞を舞いながら落下する鐘に飛び込み、
鬼(蛇体)に化身する

という話だ。

その解説が今も心に残っている。

花のほかには松ばかり
花のほかには松ばかり
暮れそめて鐘や響くらん

という謳いがあるのだが「松」というのは歌の世界においては当然「待つ」であって、
白拍子は鐘が落ちるのをいつかいつかと待っているというのだ。

さらに言えば、鐘に飛び込む前にこんな謡がある。

花ぞ散りける
花ぞ散りける
花ぞ散りける

3回も同じ節を繰り返すのだが、
桜が散ることにかけて、いよいよ鐘が落ちることを知らしめているというのだ。

鳥肌がたった。

静かに迫りくる乱拍子(舞)の後に、
100kg近い鐘が舞台に落ちるだけでもかなりの緊張に迫られる演目だが、
馬場先生の解説によっていっそう不気味に思われ、人間の狂気や矛盾する感情が浮き彫りになったのだ。

後にも先にも忘れ難い舞台となった。


実は私にはストーカーじみたところがある。
好きになった人のことは、本やインターネットで徹底して調べるのだ。

馬場先生も例外ではない。

その結果、全国的な短歌結社を主宰されていることがわかった。
入会しようかどうか、しばらく悩んだ時期もあった。

ただ歌の心得もない上に、
私のようなにわかファンが立ち入ってはいけないと控えていたのだ。


だから今年、馬場先生のドキュメンタリーが上映されると知った時は、飛び上がって喜んだ。

実際に新百合ヶ丘の映画館に訪れたのは、数日前のことだ。

朝からぐったりするような猛暑日で、
大量の汗をかきながら新百合ヶ丘に向かった。

ようやく到着した会場は上映の一時間前だというのに、すでにたくさんの人でごった返している。

まさにトークイベントの日だったからだ。

気持ちが萎えそうになったが、
映画が始まった途端に全て吹き飛んだ。

さくら花 幾春かけて 老いゆかん
身に水流の 音ひびくなり


先生の短歌からゆっくりと立ち上がる映画は、
2年間撮り溜めた映像と、俳優 國村隼さんの語りによって進んでいった。

早くに母親をなくし祖母に育てられたこと

子どもの頃全く勉強ができなかったが
一念発起し国語と歴史が得意になったこと

戦争で家を焼き出されたこと

学校の先生になり、若いときは寝る間も惜しんでさまざまな学びに走り回ったこと

能の稽古に励んでいたこと

朝日歌壇の選者を40年以上務めていること

応募のハガキを手にした瞬間に歌の良し悪しがわかること

虫が好きでたまらないこと

足の痛みをロキソニンで止めて全国を回られていること

ワインが大好きなこと・・・

さまざま角度から描かれた先生の半生に、胸が熱くなった。

お人柄もよく伝わってきた。

よく「ありのまま」というけれど、
カメラに映されてなおここまでありのままでいられる人は珍しいのではないかと思う。

95歳という年齢の余裕なのだろうか。
先生のように歳を重ねられたらどんなに素敵だろう。

馬場先生と監督のトークイベントでは、
この映画を撮るに至った経緯や撮影の舞台裏も伺うことができた。

(左は監督の田代裕さん、右は馬場あき子先生)


中でも心に残っているのは、
馬場先生の質問者への回答である。

「能を舞っていた経験は、歌にどう関係し、どう役に立っているのか」

このような趣旨の質問だった。
それに対し、先生はこう答えたのだ。

たっぷり関係あるでしょうね。
でも、それがどう役だったかをあげてもしょうがないと思うの。

能に限ったことではなくて、
例えばサッカーをしている人は、
その身体感覚がいろんな面で
生きているでしょうしね・・・

唯一あげるとすれば、
大きい声が出るのは
謡をやっていたおかげね。

腹から声を出すのが
当たり前になっているの。

マイクがなくても、
本当はもっと大きな声を出せるのよ。
ほほほ・・・・

見事だと思った。

人生の因果や経験の発露というのは、そんなに単純なものではないだろう。

何かをわかったつもりになろうとしていた自分が恥ずかしくなった。

外に出るとむわっとした空気がまとわりついた。
照りつける日差しは相変わらずジリジリと痛い。

けれど、この数時間で何かが変わった気がしていた。

余韻に包まれながら、映画館を後にする。

馬場先生のよく通る声が、いつまでも響いているような気がした。


かまくらのおと
白河 晃子

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